川崎学園 創立50周年記念誌
135/244

Since 197川崎医科大学附属高等学校133「寮だより」B5サイズ横・モノクロ印刷「生坂だより」に名称変更A4サイズ・カラー版に変更第155号より「いくさか」に名称変更生坂校舎全景(開校当時)学生寮(1971年頃)飯ごう炊さん(開校当時)開学式の日に松島校舎から生坂に飯ごう炊さんに行ったことが始まり。現在も恒例行事として毎年春に新入生を歓迎して行われている。 「生坂だより」の前身は、1970年6月に発刊された「寮だより」だった。それには、生徒の生活の様子はもちろんのこと、学校の歴史や各種行事、随筆、紀行文、自然、生徒作文などが質の高い文章で書かれていた。また書き手の教員の多くが舎監との兼任で、生徒の学業と生活の両面にわたる指導の様子がよく伝わっている。本校の正史とまでは言えなくとも、人情あふれ、文学性を備えた校史と言える。名称が「生坂だより」となったのは1982年の第59号から。それから2007年の第144号まで同じ体裁で発行してきた。これまでは文章中心であり、文章ならではの味というものがあった。しかし文字離れや情報の多様化によって簡略で明快なものが求められる時代の流れもあり、文章の良さを残しながらも視覚的な情報を取り入れ、さらにPR的要素を加えたものを本校の広報誌として発刊することになった。「生坂だより」vol.145 2007年7月発行 編集後記より思かわらぬ  い 校長面接は、ある程度学校や寮に慣れた2学期初めに行います。生まれて初めての環境に、せいいっぱい取り組み、大きな自己変革をしている姿が、頼もしくもいじらしくも感じられます。2年生の面接では、自主的な計画を立て努力を続けている者が多く、大人になっていることに驚きます。新設医大や同種の高校に向けられている世間の目をも正面から受け止め、物凄いファイトで勉学に取り組んでいる何名かの生徒に圧倒されたこともありました。(寮だより№27 昭和50年12月20日発行より抜粋)川端  清初代校長(1970年4月~1978年3月)広報誌の変遷創刊号1970年6月第59号1982年5月第145号2007年7月第182号2019年10月

元のページ  ../index.html#135

このブックを見る