川崎学園 創立50周年記念誌
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16美しい自然の中で育む全人教育 医科大学と同時に同大学附属高等学校が開校した。陶冶性の豊かな高校時代に、理想的な全人教育を施し、人間味あふれる良医を育成したいという祐宣の考えから、当時珍しかった全寮制を採用。均衡のとれたカリキュラムを定め、スポーツや文化活動を重視した。 開校1年目は、校舎・寮舎・運動場などを大学と共用したが、翌年には、理想の教育を施すために祐宣自ら調査検討して選んだ現校地(倉敷市生坂)に移転した。生坂は樹齢60年以上の赤松の大木が密生する山に三方を囲まれ、小鳥の声が絶えず、美しい谷川が流れ、水を湛えた池が点在する閑静な別天地だった。造成と建築にあたっては、模型を使って何度も 川崎医科大学附属高等学校から川崎医科大学へ進学した学生たちは、高校時代の3年間と医科大学1、2学年の通算5年間、寮生活を送っていた。その絆は非常に深く、たいへん仲がよい。全寮制を採用したのは、祐宣が自身の第七高等学校造士館時代の寮生活の経験から、寮の教育力を高く評価していたためだった。七高の寮生活の中で学生たちは懸命に勉強し、人生を論じ合っていた。祐宣は寮生活を通じて、真理や正義を尊ぶことにひたむきになるという生き方を学び、何ものをも恐れず屈せず、ただ正義と友情に生きるという態度を身につけることができた。 第二代理事長・川﨑明德もまた、寮生活の素晴らしさを実感していた。 聖路加病院でのインターン中、1年間の寮生活経験を持つ明德は、「1年間一緒に暮らせば、相手がどんな人間かがわかる」「寮生活では、皆が助け合って生活する」と、寮生活が育む絆の強さがよく理解できると話す。なお、明德がインターン時代聖路加病院の寮で苦楽を共にした20名は互いに助け合い、現在でも変わらず仲がよいという。人間性を育む独自の全寮制column‒51979年頃の学園遠景川崎医科大学新築落成記念式川崎医科大学開学の辞(1970年6月)開校当時の川崎医科大学附属高等学校全景(倉敷市生坂)川崎医科大学新築落成記念式繰り返し配置を工夫したり、周囲の山に茂る松の保存に苦慮するなど、元の自然環境を生かすことに配慮した。

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