川崎学園 創立50周年記念誌
21/244

19川﨑祐宣創設者学園の礎づくり学園創立10周年を迎えて 1981(昭和56)年、川崎学園創立10周年記念事業の一つとして、現代医学教育博物館が完成した。祐宣は、1954(昭和29)年10月からの欧米視察中に、ロンドンのキングス・カレッジのガイズホスピタルを訪問したが、この病院には、医学標本等の精選と陳列の方法などにも工夫が凝らされた、優れた医学博物館が設けられていた。標本の腐敗や変色防止のために特殊な技術を用いており、ほとんど本物を見るのと同じだった。この保存技術は門外不出だったが、整然と並べられた医学教育に必要な病理標本は学生が手に取って学ぶことができ、そこに勤務する医師や看護師も暇を見つけては展示室の中で研修に励んでいた。 祐宣はそれらに深い感銘を受け、当時、国内にはそのような施設はなく、いつか自分の病院にも同じような博物館を創設したいと考えていた。現代医学教育博物館はその夢の実現だった。この博物館は、わが国初の医学博物館として全国的に注目を浴びた。なお、ガイズホスピタルの博物館の特殊保存学園とともに 戦後初の私立医科大学の設立を伴う川崎学園の創設と、それに続く諸施設の新設・拡充の歴史は国内外から多くの注目を集めた。その功績は高く評価されたが、祐宣は蓄財、名誉には全く執着することがなく、叙勲等の名誉はことごとく辞退した。しかし、地域からの名誉県民章や名誉市民章などは、ありがたく拝受川﨑祐宣が育った鹿児島県姶良郡横川村中ノ(現 霧島市横川町)の屋敷跡に建立された記念碑技術は、川崎学園の職員が何度も足を運んで懇請した結果、訪問の数年後に教えてもらうことができた。 記念事業として、総合体育館も建設された。また、この頃、祐宣は医療福祉大学開設の構想を明德とともに温めていた。した。それは地域とともに生きてきた祐宣の姿勢でもあった。 1988(昭和63)年に、祐宣は理事長を退任。その後も川崎学園名誉理事長・学園長として川崎学園の発展に尽力。学園内外の多くの人に敬愛された。 「医は仁術」という真理を今日に求め、医道一筋、医業創業の人として人生を「医」に捧げた祐宣は、1996(平成8)年、惜しまれながら92年の生涯を閉じた。川崎医科大学への篤志献体団体「くすのき会」の登録第1号となっていた祐宣の遺体は、川崎医科大学へ献体された。開館当時の現代医学教育博物館学園を挙げて開催された卒寿祝賀会(1993年10月)岡山県名誉県民顕彰式での川﨑祐宣夫妻(1985年)

元のページ  ../index.html#21

このブックを見る