川崎学園 創立50周年記念誌
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20医学の道へ 川﨑明德は1934(昭和9)年、岡山市で生まれた。明德が小学生だった1945(昭和20)年6月、外科川﨑病院は岡山空襲で焼失した。父、川﨑祐宣は、翌1946(昭和21)年9月には早くも病院を再建し、一家で院内に居住しながら診療にあたった。 やがて明德は岡山県第一岡山中学校へ進学し、県立岡山朝日高等学校を卒業。医学の道を志し、父祐宣の母校の後身である岡山大学医学部に進んだ。岡山大学医学部時代には、人情味あふれる師との出会いから、人との向き合い方や人間関係の大切さも学んだ。 1958(昭和33)年、岡山大学医学部を卒業後、聖路加国際病院(東京都中央区)で1年間のインターンを経験した。聖路加病院では、アメリカ留学経験のある医師から新しいスタイルで学び、最新の医療技術も多く学んだ。また、共に学んだ20人のインターン仲間や若い職員とともに過ごした寮生活は思い出深く、明德にとって寮は生涯の友との出会いの場でもあった。 1959(昭和34)年、岡山大学医学部第二外科学教室に入局、1965(昭和40)年学位(医学博士)を取得。1968(昭和43)年には医学部附属病院講師に就任し、1969(昭和44)年まで務めた。川崎病院内で雑誌の取材を受ける祐宣と明德(1970年頃)川﨑 明德教育・医療・福祉を統合し、学園の発展を牽引するリーダーとして 夢の実現へ

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