川崎学園 創立50周年記念誌
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25川﨑明德二代目理事長(現 学園長)夢の実現へ教職員に向けた感謝の言葉の掲示(1991年10月) 医療福祉大学は、2学部6学科で開学したが、全国的に類を見ない新しい学科や工夫を凝らしたカリキュラムには、明德のアイデアと思いが込められていた。 医療福祉学科では、医療の知識を有し患者の立場に寄り添う、医療ソーシャルワーカーの育成を目指し、臨床心理学科では人々の精神的な健康を保つための適切な援助ができる臨床心理士の育成を目指した。今では、“こころ”の支援の必要性から求められた公認心理師というわが国初の心理職の国家資格も認定されるようになり、臨床心理学科は先見の明の設置といえる。 欧米の最先端の医療現場の視察やインターン時代の経験など、豊富な経験と知識を生かし、明德は医療情報学科を開設。時代の流れを予測したかのように、その後、病院のカルテも「紙カルテ」から「電子カルテ」へ移行するなど、医療の世界のIT化は急速に進んだ。 また、人の視覚、聴覚、言語等の機能や状態を科学的に分析し、治療や回復の手助けをする専門職を育成するため感覚矯正学科(視能矯正専攻・言語聴覚専攻)を開設した。まだ言語聴覚士が国家資格として認定されていなかった時代のことだった。 健康体育学科は、健康長寿を支える指導者を育成するという考えに基づいて設置。開学当時、医療福祉と健康増進・体力向上に関する専門教育を行う機関は極めて少なかった。また、医療短期大学栄養科からの流れを汲み、“医療福祉の臨床現場における栄養学”という考えのもと臨床栄養学科が開設され、高度の資質を備えた栄養士の育成を目指した。 医療福祉の現場で求められる人材を育成するということに真摯に向き合った明德は、その後も、知識や経験に裏打ちされた独自の閃きと発想によって、新学科の開設や医療短期大学からの改組を行い、現在の医療福祉大学の基礎をつくった。医療福祉大学開学時の学科開設の思いcolumn‒31991(平成3)年4月、川崎医療福祉大学が開学した。ここに至る過程でも、学園を率いる明德の粘り強い交渉力と調整力は如何なく発揮されている。文部省や関係官庁等との折衝は困難も多かったが、医科大学設置のときのやり取りで顔見知りになり、明德の人となりも知られていたため文部省の職員は好意的で、いろいろなアドバイスを受けることもできた。 川崎医療福祉大学は、医療福祉と健康科学を教育・研究する世界初の4年制の総合大学として、国内外から注目を集めた。これによって、川崎学園は、医学・医療・医療福祉を包括した総合学園としての陣容が整い、祐宣と明德の2代にわたって育まれた夢が実現した。学園開設10周年記念会(1980年)納涼大会で勝村医科大学学長(当時)とともに西館棟竣工式(2002年9月)

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