川崎学園 創立50周年記念誌
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26学園の発展とともに施設、体制を拡充 学園は、設立以来発展を続け、それに伴って校舎や病棟などの新築・増築・改修が急務となった。明德は建築に関しても研究し、アメリカの施設見学で学んだ知識や職員の提案も考慮しながら施設づくりに積極的に携わった。 理事長就任から2年後の1991(平成3)年2月に、「川崎医療福祉大学校舎」が竣工した。医療福祉大学キャンパスは、校舎棟、講義棟、厚生棟、体育館が一体となった機能的なつくりで、その後の「校舎棟東ウイング2」の増築や、隣接して建設された「川﨑祐宣記念講堂」と校舎との接続部分の壁の仕様など、将来拡張可能な増設スペースも想定して設計されていた。 また、附属病院は開院後30年が経過した頃には、建物や設備の老朽化や狭隘化が進み、全面改修が必要な状態となった。明德が陣頭指揮を執り、約10年にわたる開院以来の一大プロジェクトが始まった。2002(平成14)年に附属病院西館棟を新築し、病棟や手術室、中央検査部、栄養部等の数々の機能が移った後、順次、本館棟および救命棟の外来エリアや病棟等の全面リニューアルを行った。また、2009(平成21)年には救急診療やリハビリテーションの充実のために北館棟を新築した。 時を同じくして、医科大学においても、多様な教育を行うためには従来の校舎棟では手狭になってきたため、2007(平成19)年に増築した。創立40周年を迎えた2010(平成22)年には、附属病院および医科大学、医療福祉大学の増改修工事が完了し、新たな時代に対応した療養環境、教育環境が整備され、医療福祉の総合学園として盤石の態勢が整った。 なお、明德理事長の時代には、2001(平成13)年に附属病院において日本初のドクターヘリの運航が開始された。救急医学教室の小濱啓次教授を中心に、約20年にわたる試行事業を経て実現したもので、これにより高度救命救急センターとして地域に貢献できる体制がさらに整備された。 一方で、良き医療と教育を提供するには、教職員にとって働きやすい環境づくりが不可欠との観点から、院内保育所や附属病院内に病児保育室を開設するなど、明德は幅広い視野と配慮、確かな判断力で施設づくりを行い、すぐれた医学教育・医療技術教育、安全・高度な医療を提供できる環境整備に力を尽くした。ドクターヘリ運航開始式(2001年4月)学園運営協議会(2000年頃)現場を視察する明德(西館棟新築工事)旧深柢小学校跡地活用について岡山市と協定を結び、髙谷市長(当時)と握手する明德(2011年7月)

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