川崎学園 創立50周年記念誌
30/244

28祖父、父と同じ医学の道へ 川﨑誠治は1962(昭和37)年、岡山市に生まれた。 財団法人川崎病院の西館が竣工して病床数が470床の総合病院となり、川崎癌研究所、川崎高等看護学院が開設した2年後のことだった。 父明德は、誠治が誕生した数か月後に財団法人川崎病院の理事に就任。川崎病院の発展に貢献し多忙な日々を送っていた。 そんな父明德は家族に対してとても厳しい人だった。誠治に対しても決して甘やかすことなく、能力のない者は家業といえども継ぐべきではないとの考えで接した。祖父祐宣は、川崎病院に住みながら診療を続けていた。そんな祖父や父の姿を見ながら誠治は成長した。 1986(昭和61)年、岡山大学医学部を卒業。岡山大学医学部第二外科学教室に入局した。そして、祖父、父と同じ医学の道を歩んだ。誠治は外科医としての研修を進めながら、岡山大学医学部病理学教室で基礎医学研究を行い、医学博士の学位を取得した。川﨑 誠治体制を整え学園の力を盤石に未来を見据えた新たなリーダーとして 志をつなぐこのときの経験から、医科大学での基礎医学教育・研究が非常に重要だということを学び、後の大学運営にも大きな影響を与えた。 やがて父明德から、学園経営を一緒にとの話が出始めた。後を継ぐ者として認められた証だった。誠治はさまざまな思いを抱えながらも、父とともに歩む道を選んだ。家族写真(左端 父明德、父の右後 誠治、写真中央 祖父祐宣)

元のページ  ../index.html#30

このブックを見る