川崎学園 創立50周年記念誌
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29川崎学園理事、副学長に就任副理事長として 1995(平成7)年3月、川崎学園理事・評議員に就任。誠治が岡山大学医学部第二外科学教室在籍中の33歳の時だった。 その後、川崎医科大学外科学講師、副医長に就任。2年間の現場経験から学園運営業務と診療の両立は難しいと判断し、学園経営に専念することを決意した。決めたからには責任を持って徹底的に。誠治は祖父、父ゆずりの粘り強さと行動力で、さまざまなことを経験し、吸収していった。 誠治が理事・評議員に就任して2年目の1997(平成9)年1月、附属病院の設備室から出火。病院中が煙に包まれる 2000(平成12)年には川崎学園副理事長に就任した。12年間の副理事長時代は、附属病院西館棟、北館棟の新築、本館棟・救命棟の全面リニューアル、医科大学校舎棟増築など附属病院・医科大学の施設・設備の整備や運営の見直しを行った。 附属病院の運営体制整備としては、各科の壁を取り払った臓器疾患・機能別センターによる診療体制を推進。1患者1ファイル制、オーダリングシステム、電子カルテの導入などIT化にも力を注いだ。さらに、PET/CT、MRIなど最新医療機器の整備を進め、大学病院としての高度医療提供体制を確立した。 また、患者の療養の社会的、心理的支援を行うとともに、地域の医療機関との連携の強化を目指して、患者診療支援センター、臨床心理センターなどの診療支援部門を立ち上げた。これらのセンターは、学生教育の場としても大いに川﨑誠治三代目理事長志をつなぐ大きな火災事故が起こった。誠治はもちろんのこと、教職員や学生たちも力を合わせ、全入院患者を無事館外へ避難させた。幸いにも人的被害は無かったが、病棟の機能は完全に停止し、診療の完全復帰までに数か月を要した。 この事故により、誠治は危機管理や防災対策など安全な施設管理の重要性を痛感した。そしてこの教訓が、後の組織運営や建物の設備、整備に生かされることとなった。 1998(平成10)年、川崎医科大学副学長、川崎医科大学附属病院副院長に就任した。活用されている。 誠治の副理事長時代、川崎学園はGTC(イギリス)との友好提携協定締結、ノースカロライナ大学チャペルヒル校ティーチ部(アメリカ合衆国)との「学術協力提携書」調印、上海中医薬大学(中国)との「友好提携協定」締結、ヴィクトリア大学(カナダ)との「学生の教育および教職員の研修に関する協力同意書」調印など、海外との結びつきを深くした。それらに基づいて誠治は海外の大学へ何度も訪問し、交流をさらに発展させた。 病院スタッフ、建築業者との設計打ち合わせ(2001年3月)GTC Kawasaki Roomでレビューミーティング(2017年9月)上海中医薬大学60周年式典(2016年5月)

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