川崎学園 創立50周年記念誌
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30第三代理事長に就任 2006(平成18)年、誠治は川崎病院を運営する川崎医学振興財団の副理事長に就任、川崎病院経営の立て直しのサポートに尽力した。老朽化が進む病院の建て替え用地確保のため、岡山市との交渉や地域住民との話し合いにあたったのも誠治だった。2011(平成23)年には、学校法人川崎学園が川崎医科大学附属川崎病院の診療業務を承継したが、この手続きも副理事長時代の誠治の大きな仕事の一つだった。 2012(平成24)年3月30日、明德が理事長を退任。翌3月31日、誠治が川崎学園理事長および九曜学園理事長に就任した。前年7月に旧深柢小学校跡地の借用が決まり、校舎の解体などの準備工事や埋蔵文化財発掘調査が行われ、川崎病院の新築移転計画は順調に進み、学園に大きな変革が訪れようとしていた。 川崎学園3代の理事長の運営方針にはそれぞれ特徴がある。創設者川﨑祐宣は、医療従事者養成のため医科大学、医療短期大学など設立し学園の基盤づくりに力を注いだ。二代目理事長明德は、祐宣から受け継いだ医師養成体制を一層充実させるとともに、医療を支える医療福祉分野の人材養成のため医療福祉大学を設立した。 そして誠治は、理事長就任にあたり、「良き医療人、医療福祉人の育成」のため、さらなる飛躍を目指す意を示し、2代にわたって拡大された学園機構を、時代の変化や社会の要望に合わせて整理するところから着手している。 誠治が理事長に就任する約一月前になる2012(平成24)年2月、地元の意見が分かれ、小学校廃校後6年余り方針が打ち出されなかった旧深柢小学校跡地の借用が決まり、新病院新築移転構想が大きく前進した。 このきっかけは、地元住民の方々からの声だった。岡山市の東中山下5丁目町内会から岡山市長に提出された川崎病院の移転建て替えを求める陳情書と、添えられた1万人を超える署名が行政を動かした。 誠治は副理事長時代から新築移転構想に関わっていたが、理事長就任と同時に附属川崎病院長も兼務し、構想の中心となって新病院の完成に力を尽くした。新病院新築移転実現は、地元の方々の声からcolumn‒1埋蔵文化財発掘調査総合医療センター開院式(2016年11月)総合医療センター建築現場を視察(2015年5月)開院式後見学会(2016年11月)

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