川崎学園 創立50周年記念誌
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1 クジャクやアヒル、七面鳥がいた頃の中庭2 病歴室(膨大な紙カルテの保管)3 ふるさとの森での「リハビリ青空回診」4 ICU(集中治療室)でのミーティング風景5 病棟 看護婦詰所   (看護師が看護婦と呼ばれていた頃)6 小児病棟プレイルーム附属病院の思い出●癒やしの空間、「中庭」のかつての「住人」たち 池に鯉が泳ぐ「中庭」は、桜が満開となる春、水車が涼しさを運ぶ夏、紅葉が郷愁を呼ぶ秋、時に雪化粧が見られる冬・・・と四季を織りなす景観で、多くの人々の心を癒やし、楽しませています。 実は30年前には、鯉以外にもたくさんの「住人」がいて、アヒル、合鴨、オシドリ、チャボに七面鳥、つがいのクジャクまで中庭を闊歩していました。中でも雄クジャクは、昼頃に見事な飾り羽を開き、「クワオー、クワオー」と大きな声で鳴いていました。(現在は、衛生上の観点から「住人」は池の鯉のみ)●開院初日のこと 開院前、職員は川崎病院などを拠点に、日夜奔走して附属病院開院準備を進め、1973年12月17日(月)、ついに開院日を迎えました。最初の入院患者は小児科の女児で、図らずも、病名は別名「川崎病」でした。開院初日の入院患者は計3人でした。●下りの外来エスカレーター 開院当初から外来にはエスカレーターがありましたが、上りは2階から4階まで、下りは3階から2階しかありませんでした。4階で採血・採尿(当時)などを行った後は、階段かエレベーターで降りていました。(現在は、上りも下りも2~4階のエスカレーターがあります)●わかりやすい案内は大切 附属病院には、昔も今も売店として髙島屋が入っています。開院から間もないある日、ある患者さんが医師から、「髙島屋の裏の中央放射線部へ行ってX線検査を受けるよう」指示を受けたところ、電車に乗って岡山駅前の髙島屋へ行ってしまった、という出来事がありました。スタッフは、患者さんへのわかりやすい説明と案内の大切さを痛切に知ることとなりました。▪5▪⓾▪3●院内スリッパと下足室 開院当初から、患者、外来者には院内でのスリッパ着用をお願いしていて、病院玄関には「下足室」がありました。職員が靴を預かり、番号入りのスリッパを手渡すのですが、このとき、職員と患者との間に、挨拶とともに何気ない日常会話が交わされていました。診察前の緊張を解きほぐす場面でした。 (「下足室」は時代とともに廃止され、現在は車椅子置き場に生まれ変わっています)▪1▪2▪4▪5▪67 外来 総合待合(新患受付付近)8 外来 診察室(シャーカステン設置)9 開院記念に配布されたタオル⓾ 診察カード(エンボス加工)  (写真左)開院当時 (写真右)デザイン変更版⓫ 下足室▪⓬ 自動再来受付機(初代)▪876▪⓬▪7▪⓫▪9懐かしさとともにKawasaki Gakuen Episodes

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