川崎学園 創立50周年記念誌
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Since 193川崎医科大学総合医療センター81 2010年8月、地元有志の市民が10,303人分の署名を添えて、「旧深柢小学校跡地に川崎病院の移転を希望する」と岡山市へ陳情し、同年12月の市議会で採択された。  その後、川崎学園と岡山市との間で、2011年7月に「岡山中央南(旧深柢)小学校跡地活用事業に係る基本協定」、2012年2月に「事業用定期借地権設定契約」が締結された。 締結式地域住民による署名活動  新病院建築工事は計画どおり2016年8月末に竣工し、3か月の準備期間を経て同年12月1日に「川崎医科大学総合医療センター」に病院名称を変更し開院した。 新病院開院に向けて          開院 開院当日、総合待合で病院長以下幹部職員が外来患者を出迎えた。予約を通常より少なくしていたため、大きな混乱はなく初日を終えた。開院記念行事 開院に先立ち11月中旬には、報道関係者内覧会、教職員・学生・家族見学会、開院式、招待者内覧会、一般見学会を数日にわたって開催。約10,000人の方が参加し、最新の設備や医療機器、快適な療養環境の様子を見学した。一般見学会職員・学生見学会入院患者移送 模擬患者、搬送車両使用による2回のシミュレーションを経て、開院前日の11月30日に全職員の団結力のもと、搬送車両11台により入院患者106名を新病院へ無事移送した。患者移送医療機器・備品等移転 各部門では新病院開設準備室との綿密な打ち合わせのもと、事前移転、本移転、事後移転の3段階に分けて移設した。MRI 装置搬入備品移設 2011年4月1日の財団法人川崎医学振興財団からの診療業務承継に先立ち、2010年度からその準備を進めた。 川崎医科大学に川崎病院担当の教室として、「総合外科学」、「総合内科学 1・2・3・4」などを新設すると同時に、既存の臨床系教室にも川崎病院担当教員を配置し、診療および教育体制の整備を図った。  また、川崎学園からの出向者と川崎病院職員との混成組織により、「企画部新病院開設準備室」を設置し、診療業務承継に係る諸事項の取り組みや、新しい病院づくりへ向けての組織や体制整備等を行った。診療業務承継式での川﨑明德理事長による訓示財団法人川崎医学振興財団から 学校法人川崎学園への診療業務承継の経緯  三十年間、私は街の開業医として、馬車馬のようにわきみもせずに走り続けた。走る道すがらときどき後をふり向くと、みんながぴったりとくっついてきてくれていた。一人の落伍者もないチームワークが、今日の病院をつくりあげたのである。三十年間、みんなとともに走り続けて、今峠の一つを登りつめたが、まだこれからだと私は思う。この峠から新たな峠を目指して歩み出すのだ。みんなも私とともに、もう一歩と、元気を出してくれるにちがいない。   もう一押しだ 疲れたときに私は思う   もう一息だ 悲しいときに私は思う   もう一歩だ 楽しいときにも私は思う(川崎病院三十年誌 昭和43年2月22日発行より抜粋)川﨑 祐宣 初代病院長(1938年3月~1973年5月)思かわらぬ  い山陽新聞(2010.12.11)

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